コルメシオ広場のジョゼ1世騎馬像と勝利のアーチ&4月25日橋とクリスト=レイ像
ホテルの最寄駅「カンポ・ペケーノ駅(campo pequeno)」そばには、「カンポ・ペケーノ闘牛場」があります。
スペインのマドリードの闘牛場を参考に、1890年から1892年に建てられた闘牛場で、2006年に大規模な改築が行われ、闘牛だけでなくコンサートや各種イベントの開催も可能な施設に生まれ変わっています。
リスボンの観光は一日しかないので、効率よく観光地を巡ろうと思います。
まず行ったのは、「コルメシオ広場」です。
「黄色線(Linha Amarela)」の「カンポ・ペケーノ駅(campo pequeno)」から3つ目の駅「マルケス・デ・ポンバル駅(Marques de Pombal)」まで行き、「青線(Linha Azul)」に乗り換えて4つ目の駅「テレイロ・ド・パソ駅(terreiro do paco)」で降ります。
カンポ・ペケーノ駅構内だと思いますが、線路と線路の間に変わった作品がありました。
マルケス・デ・ポンバル駅周辺は、2019.10月初めの時点で工事中でした。
ボート側の出口を出て、テージョ川とは反対側の左手の方の出口へ出ます。
駅前の道路に出て左側へ歩いて行くと、2~3分で右側に広場が見えます。
「コルメシオ広場」は「貿易広場」という意味です。
この辺りの開発は、市の城壁外に16世紀初頭にマヌエル1世がリベイラ宮殿を建てたことから始まりました。
この一帯は、大航海時代にポルトガルのアジア・アフリカ・アメリカの海外植民地とヨーロッパの他国をつなぐ貿易の窓口として栄え、港湾関係の建物が建設されています。
しかし、1755年のリスボン地震の際に、津波と大火で大きな被害を受けました。
その後、ジョゼ1世の宰相ポンバル侯により積極的な都市開発が進められましたが、崩壊したリベイラ宮殿は再建されず広場として整備され、その際に再建された街が現在のバイシャ・ポンバリーナ地区になります。
名付けたれた「コルメシオ広場」の名前よりも、元の名前「テレイロ・ド・パソ(宮殿広場)」の方が有名だそうです。
広場の中心にあるのが、当時最高の彫刻家であるジョアキン・マシャド・ダ・カストロ作「ジョゼ1世騎馬像」です。
こちらが「勝利のアーチ (凱旋門) 」と呼ばれている、大きくて荘厳な門になります。
こちらの凱旋門は、入場料を払えば屋上の展望台まで登れます。
また、勝利のアーチの頂上には勝利の女神、その下のポルトガルの国章を形どった彫刻物の両側には、左側に大航海時代の偉人ヴァスコ・ダ・ガマと、右側にリスボン大震災の復興を指揮したポンバル侯の像があります。
勝利のアーチから真っすぐ延びているのは「アウグスタ通り」で、はカフェやレストランが並び観光客も多いリスボンのメイン通りになります。
遠くに霞んでいますが、「4月25日橋」も見えます。
「4月25日橋」は、リスボンとテージョ川対岸のアルマダとを結ぶ長さ2,277mの吊り橋で、1966年8月6日に開通しています。
どこかで見たような吊り橋と思ったら、サンフランシスコ・オークランド・ベイブリッジと同じ建設会社であるアメリカン・ブリッジが建設した橋だそうです。
開通した当初は、当時のポルトガルの独裁者アントニオ・サラザールに因んで、サラザール橋と呼ばれていました。
その後、1974年4月25日のカーネーション革命が起こった日から名前をとって、「4月25日橋」に改称されました。
リスボンからアルマダ方面へ走る場合は無料ですが、リスボン方向へ入る場合は有料という、少し変わったシステムの橋です。
こちらも、写真では霞んでいて見にくいですが、「4月25日橋」の向こう側に見えるのが「クリスト=レイ像」
リオ・デ・ジャネイロにある「コルコバードのキリスト像」に触発されて造られ、1959年5月17日除幕式が行われたリスボンを見渡す「カトリックの記念碑」です。
門の形をした基礎部分の高さは75m、頂上にはフランシスコ・フランコ・デ・ソウサ設計の28mのキリスト像が立っており、184メートル地点の像の観察デッキからはリスボンの市街地が見渡せます。
「テレイロ・ド・パソ駅(terreiro do paco)」前のアルフォンテガ通りから見えるのは、「リスボン大聖堂」になります。
1147年から建設は始まり、これまでに何度も起こった地震によって崩壊の憂き目に遭いながらも、再建と大掛かりな改修で生き残ってきた市内で最も古い教会です。
度重なる改修により、ロマネスク様式・ゴシック様式・バロック様式・ネオクラシカル様式・ロココ様式など、数多くの異なる建築様式が混合している教会でもあります。
テージョ川には、大きなクルーズ船も入ってきます。
こちらは、フェリー乗り場・待合室です。
この記事へのコメントはありません。