プラハ城の「第三の中庭」に出たら、いきなり大きな「聖ヴィート大聖堂」が出現!
トラムで来た場合、衛兵が立っている門をくぐり、最初にある庭は「第二の中庭」になり、バロック様式の「コール噴水」があります。
その手前にある、装飾された鳥かごのようにみえるのは井戸です。
「第一の中庭」は、マラーストラナ広場から坂道を上った所にある入り口を入った場所になります。
「第二の中庭」にあるこの白い円柱形の建物は、「聖十字架礼拝堂」です
上の写真の、左側に進み建物のアーチをくぐると「第三の中庭」があり、左側に大きな「聖ヴィート大聖堂」がいきなり現れます。
プラハ城ツアーの最大の見所ですが、近くから写真を撮ると大きいため建物全部が入りきれません。
後ろに下がっても、こんな感じになります。
王宮の方に移動して、端っこの方からやっと上まで写真を撮れました。
でも、ちょっと近寄るとこうなります。
後ほど、聖イジー教会の方から撮ったら上まで撮れました。
「聖ヴィート大聖堂」は、プラハ大司教の司教座聖堂になります。
聖ヴァーツラフによって、925年に同じ場所に初期ロマネスク様式の円形建築が建てられたのが、「聖ヴィート大聖堂」の始まりです。
現在の形のゴシック様式の大聖堂の改築が始まったのは1344年で、神聖ローマ皇帝カール4世にもなったボヘミア王カイル1世が後援者として大きく携わっていたと言われています。
ですが、大聖堂の工事は遅々として進まず、15世紀前半に起きたフス戦争の開始により停止したり、1541年の大火による大規模な損壊などもあり、長い間作りかけの状態で建っていました。
最終的に完成したのは1929年のことで、完成までに何と600年という長い月日を費やしています。
第二の中庭からアーチをくぐり、左側の方に入口があるのでそこから入場します。
網の目のように交差したジグザグ模様が美しく、いきなり広がる高い天井に圧倒されます。
色鮮やかなステンドグラスは、どれも非常に美しい。
南側の黄金の門の上部にあるステンドグラス
円形状のバラ窓に飾られているステンドグラスも見事で、約2万7000個のガラスが使用されているそうです。
やはりいちばん有名なのは、この1931年作のステンドグラス「聖キリルと聖メトディウス」。
(聖堂の入り口から見て3番目に飾られているステンドグラス)
画家グスタフ・クリムトを中心に結成された芸術家のグループ「ウィーン分離派」に属し、アール・ヌーヴォーを代表する巨匠でチェコの有名画家「アルフォンス・ミュシャ」の作品です。
「アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像」でも有名なクリムトの作品も素晴らしいですが、ミュシャの作品もどれも本当に美しいです。
このステンドグラスでは、チェコの守護聖人である「聖ヴァーツラフ」とその祖母「聖リュドミラ」を中心に置き、最初のキリスト教伝道者「聖ツィリル」「聖メトジェイ」の生涯を描いています。
やはり、他のステンドグラスとは画風が違うので、一番印象に残ると思います。
【聖ヴァーツラフ礼拝堂】
チェコの守護聖人である「聖ヴァツラフ」に捧げられた礼拝堂です。
聖ヴァーツラフの一生やキリストの受難を描いた壁画がびっしりと描かれ、ヴァーツラフ1世の聖遺物も修められています。
祭壇中央に置かれている「聖ヴァーツラフ像」
こちらが「聖遺物祭壇」
カレル橋から投げ捨てられて殉教した「聖ヤン・ネポムツキーの墓」
2トンの銀を使って制作されたボヘミアの守護聖人である聖ヤン・ネポムツキーの墓で、ネポムツキーの頭上には5つの星が輝いています。
歴代の王室の方々も、コチラの「告解室」で懺悔されたのでしょうか…?
重厚な「パイプオルガン」
予定では2019年末に、新しいパイプオルガンが設置されるそうで、現在寄付金を集めているらしいです。
彫刻家ヨゼフ・ミスルベクの作品「枢機卿シュヴァルツェンベルクの像」
彫刻家エマニュエル・マックスによって制作された「聖ヴィートの墓」
主祭壇の裏にある「旧大司教の礼拝堂」
「ハプスブルグ家の霊廟」
フェルディナント1世とアンナ王妃、そして二人の長男であるマクシミリアン2世が眠っています。
「レオポルト・シュリック伯爵のバロック式墓碑」
巨大な墓碑だったので、凄く目を引きました。
その他にも、色々な礼拝堂があります。
南側入口(王宮がある方)は、上部に「最期の審判」が描かれ金色に輝くモザイクで装飾されています。
その為、この南側の入口は「黄金の門(ゴールデンゲート)」と呼ばれています。
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