プラハで一番行きたかった「ジョン・レノンの壁」で平和を考える
マラーストラナの「聖ミクラーシュ教会」からカレル橋の方へ向かいます。
カレル橋の方へ向かう通りには、色々なレストランやカフェ・土産物屋さんがたくさんあり、観光客でいっぱいです。
モステツカー通りをカレル橋の手前で右側に曲がって、ジョン・レノンの壁の方へ。
途中で教会があったので、少しお邪魔しました。
この小さな教会の内部も、金の装飾や素晴らしい彫像・絵画で埋め尽くされていました。
途中、モニュメントが見えました。
プラハでは、標識が倒れたままになっているのを何度か見ました。
何故そのままにしているのだろう…?
一番行きたかった場所【ジョン・レノンの壁】
元々この場所は、近くに住んでいた「Jen Werich」という有名な俳優のためにメッセージが書かれていた壁だそうです。
厳しい弾圧下のもとで、多くの芸術家や俳優が国外へ亡命し、一時はこの「Jen Werich」氏も国外へ逃げたのですが、弾圧を受けても祖国のチェコへ戻ることを決めた彼のために、若者たちが賛辞のメッセージを書き始めたのだそうです。
それが、この壁の始まりだそうです。
1980年12月8日、ジョンレノンは自宅のアパート前でマーク・チャップマンの銃弾に倒れました。
ベトナム戦争に反対するなど平和運動家としても有名なジョンレノンが銃弾に倒れて直ぐ、チェコの若者たちもこの場所に集まり花やローソクを立て彼の死を悼んだそうです。
これがジョンレンノン壁の始まりで、これをきっかけに壁はジョン・レノンへのメッセージで埋め尽くされたそうです。
当時は共産政権下だったので、当然西洋の音楽は非合法、若者たちは「愛と平和(Love and Peace)」を愛したジョンレノンを平和のシンボルとして見なし、彼の歌詞や音楽を通して自由を夢見てました。
反政府の匂いを嗅ぎ取った政府により、壁は何度も真っ白に塗りつぶされたそうです。
しかし、何度塗りつぶされてもまた直ぐに壁は絵やメッセージで埋め尽くされたそうです。
英語版のウィキペディアによると、この壁の所有者は「Sovereign Military Order of Malta(マルタ騎士団)」だそうです。
そして、このマルタ騎士団が、この壁に絵を書き続けることを許可しているとのことです。
特に、素晴らしい彫刻やモニュメントがあるわけでもないのです。
ただ単に、ジョンレノンへの愛やメッセージが数十メートルの壁に書かれているだけなんです。
それが、今でも若者の共感や感動を呼び、沢山の観光客も呼び寄せられるのです。
世界から戦争や争いが無くなるのは、、一体いつなんだろうか…それとも、そんな日は来ないのか…?
この記事へのコメントはありません。