ポンデザールからサンジェルマン ロクセロワ教会~サンジャックの塔~パリ市庁舎、パリを徒歩で観光
ルーブル美術館裏のセーヌ川沿いの並木道を歩いて、「ポンデザール(芸術橋)」に向かいます。
かつて恋人達の橋として有名だった「ポンデザール」、愛の南京錠の重みで欄干の金網の一部が崩れたため、南京錠は全部取り外されガラス板に置き換えられて、今は南京錠をかける事が出来なくなっています。
「ポンデザール」の向かい側にある立派なビルは、「フランス学士院(国立アカデミー)」です。
「サンジェルマン ロクセロワ教会」は、ポンデザールの直ぐそばにありました。
フランス史上最大の大虐殺といわれる、1572年8月24日の「サン・バルテルミーの虐殺」は、この教会の鐘の音が合図となったと言われています。
「サンジェルマン ロクセロワ教会」から「サンジャックの塔」へ向かいます。
お腹が空いていたので、通りかかったレストランでパスタを食べました。
サンジャックの塔の前のシャトレ広場に噴水があり、高い支柱の上に黄金の女神像が建っています。
サンジャックの塔は、かなり高く近目からだと写真が撮りにくいです。
公園の中に突然高い塔が現れるので、少し不自然な感じがします。
元々は教会の鐘楼だったのですが、教会自体はフランス革命で閉鎖された後、1790年代になって破壊されたのですが、何故か塔だけが残りました。
この塔で、哲学者・物理学者のブレーズ・パスカルが気圧の実験をしたため、破壊を免れたと言われています。
また、「サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼路」の「トゥールの道」の出発点として、ユネスコ世界遺産に登録されています。
「サンジャックの塔」から、4~5分歩くと「パリ市庁舎」に着きます。
ルネッサンス様式とベル・エポック様式が混在する、市庁舎とは思えないほど壮麗な建物。
1357年に、パリ市長の地位にあったエティエンヌ・マルセルが、「柱の家」と呼ばれる建物を購入した事から、この建物の歴史が始まります。
現在の建物は、1871年のパリ・コミューンで消失した後、1873年から1892年までの19年間を要して再建されています。
リヴォリ通りを挟んで、「パリ市庁舎」の向い側にあったお洒落なビルは、「LE BHV MARAIS」というマレ地区の人気デパートでした。
歩いてこのパリ市庁舎まで来るのに約3時間半、ゆっくり歩いたしランチも食べたので、意外と時間がかかりました。
ここから、「パンテオン」への徒歩移動を考えていたのですが、流石に少し距離がありますし、雲行きもあやしくなってきたので、メトロで移動することにしました。
昨日、せっかくnavigoを買ったのに使わないのももったいないという事もあります。
メトロで「オテル・ド・ヴィル駅(hotel de ville)」で隣の「シャトレ駅(Chatelet)」に行き、乗り換えて7番線の「ジュシュー駅 (jussieu)」に行こうと考え11番線の改札を抜けたら、11番線の「シャトレ駅」はバツ印で閉鎖しているというボードが…
と言う事で、一旦出口をでた後。今度は1番線を利用しようと1番線の改札で「ナヴィゴ(navigo)」をかざしたら、ブザーが鳴って入れなくなりました。
多分、電車に乗らないで直ぐ出口を出たので、エラーになっていると考え、窓口に行ったら代わりのチケットを渡してくれました。
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